おもしろい写真




写真は撮られたその瞬間から過去になる。写真を見るということは、現在から過去を見ていることになる。
自分が撮った写真を見ると、そのときあったことだけでなくその前後のことも思い出す。
写真は一瞬を切り取るが、撮った本人にしてみれば、それ以上のものがその一枚に収められている。
楽しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、その場の雰囲気、空気のにおい、その他いろいろ。
自分の写真を見るっていうのは、他人が見る以上の感情が入るものだ。


他人の写真はどうだろう。
自分が撮っていないのだから、当然、その写真については見たままの情報しかない。
しかし、それでもそんな写真がおもしろいと感じることがある。
この理由がその、困ったことにうまく説明できない。
だからこそ、写真にしかできない芸当で、言葉をはねのける領域であり、摩訶不思議な世界が展開され…
考えれば考えるほど意味不明になってしまう。
そうだ、じゃあ考えなければいい。感じればいいのだ。そう、感じれば。
写真は見て感じるもの。言葉で考えるのではなく、感じる。
写真を見て何も感じなければ、きっとその写真とは縁がないのだ。


おもしろい写真。
色合いに惹かれる。雰囲気に惹かれる。うん、それもある。
ぎちぎちにコントラスト上げて、ぎゅうと絞り上げたこってりな色合い。それもいい。
ふんわりほのぼの、暖かくて淡い色合いの今風お散歩写真。それもまたいい。
ぱっと見の雰囲気。中身なんて何でもよいし、何にもない。目に入った瞬間に伝わるもの。
それだけで見せるのもありなのかな。でも、なにか物足りない。


見た目の次は中身。
人物、風景、動物、花、ありとあらゆる目に入るもの。
その撮られているものに対して興味を持つ、おもしろいと感じることもある。
自分が興味を持っているものなら、なおさらその感情は強くなる。
見たことのないもの、見たことのない世界なら、知的好奇心をそそる。
そう考えると、どう写っているかと同じように、何が写っているかもおもしろさの要素なのか。


そして、中身が重なり合い、組み合わさってできるのがテーマ。でもないか…。
テーマを作ろうと思えば、周到な準備がいるし、そうやすやすとできるものでもない。
好き放題撮って、はい、こんなん撮ってきました!では、テーマにならないから。
このテーマが写真の背景にあれば、より一層、写真に深みとか奥行きが出てくるのだろうか。
そこまで考えて写真を見たことがないから、なんとも言えないけど。


と、ここまで書いてみると、なんとなく写真のおもしろさのほんの断片くらいは見えたような。
写真は人間が撮るものだから、その撮られた写真もまた人間くさいものなのかもしれない。
見た目に中身とテーマ、外見に内面と生き方、なのかな。