10000枚




気がつけば、10000枚。このブログを始めて3年ちょっと。最初はここまで続くと思ってなかった。
ぱっと見、初期の写真と今の写真はそう変わらない。
でも、よく見てみると写真に安定感というか、こなれてきた感が出て来ているように思う。
写真学校へ通い始めて、基本となる正面撮りを口酸っぱく言われた。正面撮り、正面撮り…と何度も繰り返すうち、
自然とそう撮るようになってしまった。今では正面撮りでないと気持ち悪くさえ感じる。慣れとは恐ろしい。


それにしても、撮っている内容は相変わらずで、つかず離れずふらりふらりと街角を撮り、神社お寺を撮り。
とりとめもなくひたすら続く写真の山。たまに、俺っていったい何やってんねやろ、と思う。
記録であり表現であり、その狭間を行ったり来たり。
ただ、そんな写真の流れの中で、ふと、おもしろかったりすることがある。


撮ってきた写真からいらないものを間引いて、一次セレクトしたのを撮った順にブログへ貼り付ける。
それだけなのに、なんとなくストーリーになってたり、こそっと心をくすぐられたりすることがある。
うまく言葉にはできないが、そのなんだかよくわからないイメージの表現に惹かれる。写真って不思議やなと思う。


この前の写真学校、ゲストで来ていた元新聞記者のカメラマンに作品を見てもらって、グサリと来た言葉がある。
「この写真の意図がわからない。」
至極まじめに言われた。
いや、わたしにも意図なんてわかりません。その前に意図なんてありません。
面と向かってそう言うでもなく、ただただ閉口してしまった。
持って行った写真自体、プロから見れば稚拙なものだしボロカスに言われるのは別にかまわない。
何の気もなくこんなん撮ってきましたよ、的な写真だったからなおさら。


ただ、その「意図」っていう言葉が妙に引っかかった。そういえば、自分にとって写真を撮る意図って何?
意図はなくても写真は撮れる。いつもそう。気になったもの、興味を引いたものを手当たり次第に撮る。
意図があってこう表現したいから撮るなんて古い考え方だよ、と思わなくもない。
写真なんて見ておもしろいと感じたらそれでええやん。素直な気持ちだが、身も蓋もない。
周りにそう納得させる写真が撮れたらいいけど、はたしてどうだか。


来年に個展を開く話しが来ている。うまくできるやろうか。